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HP対談企画

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< 対 談 前 編 >
難波 知子氏 × 三木 ゆか

“海外で人気の「セイフク」その始まりとは?”
三 木: 今日は、プロフェッショナルなお二人とご一緒できてうれしいです。どうもありがとうございます。今回の企画では、制服についていろいろな方面から研究をされている先生方にお話しを伺いたいと思います。まずは、先生の自己紹介とそれぞれの「制服」の研究をはじめられたきっかけをお話しいただけたらと思います。宜しくお願いいたします。
難波氏: 難波知子と申します。岡山県出身で、岡山が制服の生産地ということに上京してから気がついて、なぜだろうと思い歴史を調べたのが修士論文でした。その後は女子の制服について、このお茶の水女子大学に残っている資料を使って博論を書き、その後、現職に就かせていただきました。
三 木: 岡山は制服の産地ですね。昔学生服のテレビCMで女性アイドルが男性の学ランを着てサッカーボールを蹴っているようなテレビCMがあったような気がするのですが。ご存じですか?(笑)一時はテレビで学生服のCMが流れる度に、中学生になったら、高校生になったらみたいな感じで「制服」を意識していたものですが。
難波氏: (笑)田舎の方なので制服があるとかないとか、それが可愛いとかかわいくないとか、そんな意識はなく、着ることが当たりまえと思っていたんですけど。東京に来てから実は小学校に制服がないことが多いと初めて知って、地域によって違うのだなと思い、改めて制服に思い入れのある人たちのいろいろな話を聞くのがすごくおもしろく感じました。私は好きでも嫌いでもなかったし、そんなに制服に対して熱い思いもなかったので、そこにカルチャーショックというか違和感というか、なんでみんなそんなに制服大好きなんだろう~、と思ったのがきっかけです。だから私の研究は、どちらかというとそんなに「制服大好きです!」というスタンスではやっていないというのが1つ特徴かなと思います。
三 木: フラットでニュートラルな気持ちで制服に向き合ったということですね。そして制服の意義とか意味が時代によってどう変わってきているかを研究されたのですね。
難波氏: 研究も「すごい大好きです」とやる人と、「大嫌いです」という人とでは、「なんで制服なんてあるんだろう?」の答えは違ってくるのだと思いますが、制服にはいろんな側面や意味があって、そのどれもたぶん真実だろうなと思うので私は、その両方を視野にいれられる立場になりたいと思って。
三 木: 制服は歴史や文化を背負っていて、日本の制服が海外で“セイフク”として知られて、それが売られていたりしますよね。そこまでの歴史、文化を持っている私たちにとっての制服について、何か面白いと思う話などあったら、聞かせてください。
難波氏: 制服は定義しないといつが始まりかというのは難しく、そこを学術的に詰めていくことをやっています。私が考える制服の成立は、男女で違うと思っていて、男子は今の東大の前身の帝国大学での学生服が重要と私は思っているのですが、実は学習院が一番早い。成立として大事なのは、最高学府である大学で制定されたことかなと思っています。教育機関のトップで制定されたことで、そこへの憧れで下に浸透していくという力学が生まれるかなと。制服制定は、学習院が明治12年、帝国大学が明治19年です。様式は、今とほとんど一緒の詰襟の学生服で、学習院がホック止めの海軍型と言われるタイプで、東大が陸軍型といわれるボタン止めの詰襟の学生服になります。
三 木: もともと軍事服からきているんですよね?
難波氏: ダイレクトにきているといえるかはわからないですけど、学習院は将来、軍人将校になることを見越した科目が設定されていて、馬に乗ったり訓練をしたりする時に、動きやすさの面からいち早く洋服にする必要性があった。東大は、象徴性、エリート性のアピールという意味で着られていたのではないかと。明治20年以降、大学の下に旧制高校、旧制中学校、小学校が位置づき、下にだんだん広がっていく流れが出来てきます。ただ外来の洋服なので誰でも着られたわけではなく、初期は限られた裕福な人だけで、エリートの証、社会的なシンボルになったかと。庶民に広がったのは、大正末から昭和にかけて。それは、オーダーメイドではなく安くて誰でも買える既製服になります。私は、学校の印がある物を学校の制服と定義づけしていて、どこの所属かわかるためのものがもう1つの学校制服の特徴かなと思っています。小学校までいくと学校間の区別はなく小学生でのシンボルでしかなくなってしまいますが。
三 木: 洋服の普及もそういう階級から始まったという事ですよね。
難波氏: 庶民の人が洋服を着る機会がほとんどなかったので、最初に着た洋服は制服だったという人が、地方には多かったと思います。
女子は全然違って、学校の制度が違いますので、タイムラグができてくるんですけど、ここ(現お茶の水女子大学)の前身の東京女子師範学校ができたのが明治8年。教員養成が主なんですけど、さらに明治15年に附属の高等女学校ができて、それが先駆けになって、明治30年代に学校制度が整って、小学校卒業後に通う女学校が設立されてきました。その高等女学校で制服となったのが「袴」になります。そして、女学生のシンボルとなりました。学校間の区別をつけるものが袴の裾のラインだったり、袴の色になります。ちなみに男子の学生服の色ですが、色は黒というイメージがあると思いますが、初期は「冬が紺」で、「夏がねずみ色」というおおよその規定があり、広まっていったと思われます。色のバリエーションは生まれてこないというのが、男子の特徴かなと思います。
男子は、帽子をかぶることが1つの学生のシンボルなんですが、旧制高校は、帽子に白線を1本つけたり2本つけたりと、学校間の区別をするんです。それも白線で統一されていて。初期に赤いラインをつけている所があったのですが、すぐになくなっちゃいました。男子は制服や学帽の色で学校間の区別を表していくことが成り立ちづらかったようです。男女で比べてみると顕著だなと。

「袴」の色に隠れた女学生の秘密
難波氏: 女学生のシンボルとなる袴ですが、明治時代には海老茶色の袴が大人気だったようです。女学生は当時、「海老茶式部」(えびちゃしきぶ)と呼ばれていました。しかし、学校によっては袴の色を決めていた所があって、跡見女学校がそうです。現在ここのお隣に跡見がありますが、跡見は紫色の袴でした。ここ(東京女子高等師範学校附属高等女学校、現お茶の水女子大学附属高等学校)は色の規定がありません。海老茶が多かったとか、紫を穿いていたとかありますが、色に関してルールはなかった。奈良女の前身は、黒または紺というルールがあったみたいです。学校によって色とかルールとかはいろいろですが、京都府立第一高女、滋賀県の彦根高女は古代紫でした。ただ、当時の袴の色についてはなかなか確認できず、実物が残っているわけでもないし、写真は白黒なので、実際の色の特定まではしづらいんです。ちなみに、宮中で履かれていた袴の色が既婚者は、真っ赤な緋で、未婚が濃色(濃い紫)。これとちょっと違う紫という意味で古代紫(くすんだ紫)にしているのかなと。海老茶も緋と紫の間の色なので、そういった所を配慮したのかなと思うんですけど、根拠はないです。
三 木: 袴を何色にするかという事で東西戦争勃発みたいなことがあったのでしょうか。海老茶が東に多かったのかな?だから京都では別の色を使うみたいな感じとか。また、女子学生が自分たちの希望を直訴したみたいな話も先生の本にありました。色決めは「あそこの学校と同じにはしたくない、あそことは違うぞ」という学生達の意向が強かったんでしょうね。
難波氏: かもしれなかったけれど、ただ今みたいに選べないんですよね。今ほど色のバリエーションもなかっただろうし、染色の技術も低かったと思うので。今の話に関連して、お隣の跡見さんは、自分たちが最初に紫の袴を穿いて、自分たちのシンボルにしたのに、だんだん世の中の女学生が紫を穿きだしたら、区別がつかない。そこで、上の着物も揃いの紫にして全身紫の制服を制定したというエピソードがあります。制服は統一化と差別化のセットになって動いている、今もそうだと思います。
三 木: 学校内部では統一を図りたいのでしょうが、学校間では差別化したいという事でしょうか。それを色で調整していたんですね。
制服への思い入れとは
難波氏: 海老茶の話ですが、この色はどんな色だったか考えてみたのですが、「海老」という表現は「葡萄」とも書くことがあります。ひらがなで「えび」の場合もあって、いろいろですが、広辞苑で「えび茶」を調べてみると「黒味を帯びた赤茶色」と説明されています。色見本を見たりしてこれだったのかな?とか思いながら。そして「葡萄茶」の意味には、「山葡萄の色」っていうのがあって、今度は葡萄(ぶどう)の色を色彩の事典やいろんな本で調べてみたりしました。「山葡萄」といっても、紫だったり青かったり赤かったり、それらが混ざっていたりして、葡萄の色1つ取っても結構幅があるんだなと思って。ロブスターの方の「海老茶」は、色彩事典で引くと「伊勢海老の殻のような色合いに茶が加わったもの」とあり、その時に私は生の伊勢海老かな?茹でたのかな?と疑問に思いました(笑)。江戸時代後期の百科事典である守貞謾稿(もりさだまんこう)には、「生きる時の色」って書いてあったので、生の海老の方なんだと。だから江戸時代の後半には、海老茶の色が認識されてたわけなんですけど、それがぶどうの葡萄茶とは微妙な色合いの区別があったのか、言葉だけでは色の特定は本当に難しいです。
この附属高等女学校にあった掛け軸には、海老茶の袴が描かれていると思うんですけど、これを見るとけっこう赤みが強かったように感じます。

三 木: これは葡萄っぽいですね?今の臙脂(えんじ)、ワインレッドに繋がると書いてありますね。
  ★東京女子高等師範学校附属高等女学校生徒服装の変遷より
難波氏: あまり色の事は研究できていないのですが、今回この様な機会をいただいて改めて考えて、もうちょっとやれる余地があるかなと思いました。
三 木: 先生がおっしゃったとおり学校としての色もあるけれど、既婚や未婚、そういう社会的な立場とか身分みたいなものも考えられていたのかなと思いますね。
難波氏: 一般社会で女性はあまり袴を穿く機会がなかったので、宮中の事例を参照して一番最初の女学生の袴は試行され、その中で新しい服装文化として育まれていったんだと思うんですね。
ちなみに当時の制服の役割なんですけど、初期は体操が男女とも大きな理由と思われます。特に女性の場合は、着流しの着物だと足が開かないので。袴を穿くと前後左右に足が広げられて、活発な運動ができる利点がありますが、女学生はそれだけではなく「あれを着ると憧れの女学生になれる」とか学校の自慢だったりといろいろな思惑が重ねられました。制服に期待される役割も1つじゃなかったと思います。
三 木: この形をとったのは、最初は機能性なんですね。それと宮中からの流れと。
難波氏: その時も体操服の案は他にもあって、1つの候補として袴が挙がっていたんですけど、結果的に女学生に支持されて円滑に広まった。
三 木: そうですよね、他にも制服ありましたね。
難波氏: 改良服とかいろいろ案は出るけど、今までになかった形は、いくら機能的で合理的でも簡単には浸透しない気がします。
三 木: そこにイメージや憧れの象徴だったりとかもプラスされないと機能性だけでは支持されないですよね。人間の考える事だからあんまり変わらないですよね。形は変わっても制服への思い入れや色が表現できるものは、いつの時代も変わらないという事でしょうかね。
難波氏: これはうちの附属高等女学校時代のバンドです。これは今も附属中学校の女子がセーラー服の上にしています。制服のかたちは変わっていくのですけど、バンドがアイデンティティというか学校の印として引き継がれています。
袴の時代は、色を規定する学校はあったんですが、上に着る着物は好きな物を着ていたので、部分的な規制になりますが、洋服になるとセーラー服など決まった型のものとなり、学生が自由に選べる部分はほとんどなくなります。ところが、うちの附属高等女学校では、制服が2種類制定されました。普通、制服といえば1つのデザインなのですが、附属ではセーラー服とジャンパースカートの好きな方を着ることができました。
 
★東京女子高等師範学校附属高等女学校の徽章バンド

★東京女子高等師範学校附属高等女学校生徒服装の変遷より

三 木: 今も卒業式は袴を着ますよね。
難波氏: 今は、高校の卒業式でも着ますし、低年齢化していて中学生や小学生でも着ると聞きます。
(資料を見ながら)昔はこんな感じで、裾に白線を1本入れたり、2本入れたり。隣の学校と同じにはできないので縦に入れたり、色を黒にするとか複雑なラインを入れたりしていて、デザイン化されていておもしろい。
学校の印が付くのがなぜ制服として大事かというと、入学した時に着け、卒業する時にはずすという循環ができるから。そのことによって期間限定の服装になり、今しか着られないとなる。だからこそ、着られる時期に「制服を着たい!」という感情や欲望が生まれてくるんじゃないかなと思います。
三 木: 限定感が、憧れの対象になりうるんですね。
学校制服の歴史をお話いただきましたが、これは、現代の制服にもつながる点だと思います。
楽しいお話をいろいろありがとうございました。
難波氏: ありがとうございました。

※資料は全てお茶の水女子大学所蔵

 

◆◆◆ 後編はこちら ◆◆◆




お茶の水女子大学
基幹研究院人文科学系 助教 
難波 知子  氏

2010年お茶の水女子大学博士後期課程(比較社会文化学専攻)修了、博士(学術)。
2012年より現職。
近代日本の学校制服史が専門。単著は『学校制服の文化史』(創元社、2012年)、
『近代日本学校制服図録』(創元社、2016年)。
文化資源学会、意匠学会、国際服飾学会、日本家政学会等に所属。

お茶の水女子大学
グローバルリーダーシップ研究所 特任講師
内藤 章江  氏

2008年お茶の水女子大学リーダーシップ養成教育研究センター特任助教、博士(学術)。
2014年より現職。
専門は被服心理学、被服意匠・色彩学。
着用者・衣服・着用場面の相互関係が着用者自身や周囲に与える心理的・生理的影響の研究、
服育に応用可能な教育ツールの開発を主とする。
日本繊維製品消費科学会、日本家政学会、日本色彩学会等に所属。



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